菓 【あまい】



 「弥子、頼むよ」
 「頼りにしてるから!」
 「まかせて!」
 短い会話が交わされる。
 そしてその場の全員は頷きあい、それぞれが手にしたクッキーの箱を開けた。

 「あった、けど割れてる」
 「こっちはないみたい」
 「見つけた!」
 「はい、弥子。また一箱ね」
 クッキーを頬張った弥子は、咀嚼の速度を変えることなく、こくこくと頷いて
了解の意を伝える。そして唇の端についた欠片を舌先で口の中へと連れてくると、
すぐさまその一箱に手を伸ばした。

 期間限定で発売される菓子はどの季節にもあるが、今この場にはつい先日
発売されたばかりのクッキーの箱が大量に積まれていた。
 放課後、弥子と叶絵と友人たちでそれを食べているのだが、食べているとはいえ、
弥子以外の目的は菓子を食べることではない。
 円形のクッキーの中、時折紛れているというハート型のものを探すことが第一。
探す過程でいくつかつまみはするものの、ほとんどは手をつけられないまま
弥子へと手渡される。

 食べ過ぎれば、その箱裏面のカロリー表示を見て後悔に苛まれるのは必至。
 しかし一箱や二箱食べただけでは、ハート型が見つからない可能性は高い。
 だが幸いなことに、このクラスには弥子がいた。その底が見えない胃袋は、
食べ物を無駄にせず欲しいものを探すという目的には打って付けだ。
 「は〜、美味し〜。幸せ〜」
 机の一角には、既に空き箱が積み上がりつつある。だが弥子が箱を空ける
スピードは一向に落ちない。
 「あ、またあったよ」
 「これで何個目?」
 「……ちょうど人数分見つけたね」
 箱を開封する手が止まる。そこで初めて、クッキーそのものを味わうために
全員の手が伸びた。

 「まだ残ってるやつは?」
 「大丈夫!私が責任持って食べておくから!」
 「なんであんなに食べてるのに、全然太らないの……?」
 脅威半分、羨ましさ半分といった視線は全く気にせず、弥子は残った
何個かの箱をいそいそとかき集めた。
 ぷっと叶絵が噴出したのを皮切りに、その場が笑いに包まれる。
 弥子もクッキーを離さないまま、つられて笑った。
 その笑いが収まると、叶絵はやや真剣な面持ちになり、紙皿に取り分けて
あったクッキーに手を伸ばした。友人達も同じようにクッキーを手に取る。
 一応数の中に入っていたのか、弥子にもハートが手渡された。
 「「「「いい出逢いがありますように!」」」」
 クッキーに唇を寄せ、それぞれがそれを口にする。
 曰く、“出逢いを引き寄せる”“恋が叶う”。そんな噂は、自然と生まれた
ものか、菓子メーカーの策略か。ある部分でそれを理由に、仲間内で
楽しんでいるのも確かだ。
 「私は合コンは……」
 「わかってるって、仕事でしょ。ま、噂は噂だし、気にしないでそれ
食べちゃいな。味は変わらないんだし」
 「うん!」

 恋愛 < 食欲。
 確固たるそれはいつか変わるのだろうか。屈託なく笑う弥子の横顔を
眺めて、叶絵はそっと微笑んだ。
 先日の授業中、ほんの一時様子がおかしいかと思ったが、すぐにそんな気配は
なくなった。安心すると同時にわずかに淋しくも思う。アヤの一件からこちら、弥子の
生きる世界が少し変わったような印象を持ったが、それは今も変わっていない。
 「じゃあ、また来週!」
 一口でハートを飲み込んだ弥子はもぐもぐと口を動かしつつ、しっかりクッキーの
箱を詰め込んだカバンを抱えあげた。口々に挨拶を返す友人達に手を振り、扉の
ところで振り返る。
 そこで弥子はまた手を振ると、小走りで教室を後にした。
 「あの子が食い気から色気になるのはいつのことやらねぇ」
 「しばらくは無理そうじゃない?」
 「とりあえず、弥子のハートを掴むのはどんな人かっていうのにはものすごく
興味ある」
 友人達としみじみ頷き、叶絵はふと考える。弥子が甘い恋の味を知ったら、
自分はまた淋しさを感じるのだろうか。
 ……意外と恋バナに花が咲くかもしれない。
 とはいえ、いつになるかもわからないその時のことを考えるよりも、今は別の
懸案の方が先だ。
 「ま、うちらはまず合コンだね」
 先程とは空気の違う、気合の入った頷きが返ってくる。同じように気合を入れて、
叶絵は極上の笑みを作った。弥子の姿も思い描きながら。
 「いい人と出逢えますように!」



            end





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