鶴 【おりづる】



 事務所に漂うのは、紅茶の香り。いつもながら絶妙なブレンドは、放課後、事務所に
やってくる弥子の楽しみになっていた。買い置きしてある菓子と共にそれを味わってから
カップやメリオールを片付けると、次はあかねのトリートメントの時間だ。
 一通りの手入れを終え、あかねの髪を元通りに三つ編みしたところで、あかねが
ホワイトボードに文字を書き込む。
 『いつもありがとう』
 「ううん。こっちこそ、いつも美味しい紅茶をありがとう、だよ。って、このやりとりも
いつもだよね」
 弥子が自分の指先にあかねの髪をくるくると巻きつけると、あかねもそれに
合わせて毛先を軽く絡ませてくる。
 思わず小さく笑いが零れた。指先に巻きついたあかねの髪の毛からも
楽しげな様子がわかって、それが伝染するようだ。
 「ね、あかねちゃん、今日ってとりあえず予定は何も入ってなかったよね?」
 『うん。どうかした?』
 「一緒に折り紙してくれる?鶴なんだけど、数がいるから」
 『千羽鶴?』
 「そう。クラスの友達が骨折しちゃって。両足ともだから、しばらく入院なんだって。
で、クラス皆で折ることになってさ」
 元々は家で折るつもりだったが、予定がないならあかねと一緒に作るのも
楽しいかもしれない。そう思いついたのと同時に、それを楽しみとすることに少し
罪悪感も覚えつつ尋ねれば、すぐに答えが返る。
 『そうなんだ。私で良かったら手伝うよ』
 「ありがとう!」
 早速弥子は鞄の中から折り紙を取り出した。千羽鶴を折るための、やや小さな
折り紙があかね用の机の上に重なる。
 同じ色ばかり折るのもつまらないだろうと、様々な色を持ち帰れるように差配した
クラス委員長に弥子は心の中で賛辞を送った。それはあかねも同じだったようで、
楽しげにおさげが揺れている。
 「じゃ、はじめよっか」
 ぴょこん、と頷くようにおさげが跳ねて、オレンジ色の折り紙を取り上げる。
 弥子も赤い折り紙を手に取り、鶴を折りはじめた。

 「……あかねちゃん、上手いね……」
 二、三羽折ったところで弥子は手を止め、互いの折った鶴を見比べた。手に持って
近づけてみると、明らかにできばえが違う。
 照れたように揺れている髪の毛が微笑ましい。弥子はわずかに羨望を感じながらも、
気を取り直してまた折り紙に手を伸ばした。
 「ふむ。貴様は頭だけでなく、手先も不自由なのか」
 頭上に響いた声に振り向けば、弥子の折った鶴を摘み上げたネウロがすぐ後ろに
立っている。
 「不自由言うな!」
 「髪にも器用さで負けるというのに、不自由と言わずに何と言うのだ?」
 「じゃああんたも折ってみなさいよ。下手くそだったら、指差して笑ってやるから!」
 ムッとして出た弥子の強い言葉に、にこやかな顔で一瞬ネウロは静止した。
次の瞬間、弥子が床に倒れ伏す。
 ネウロはしばらく弥子の顔の上に足を置いていたが、無造作に折り紙を手に取ると
自らの定位置に戻り、それを折りはじめた。
 大きな手。手袋も外していないというのに、その手つきは弥子の予想以上に早い。
 トロイのふちに手をかけて覗き込む弥子の目の前で、鶴は弥子よりも短い所要時間で
できあがった。しかも、綺麗に。
 「で、貴様はどうすると言っていたのだったか」
 「う……」
 弥子は面白そうに彼女を眺めるネウロを睨むが、全く意に介されないばかりか
鼻で笑われる。
 「……手袋したままのくせに、なんでそんなに上手いのよ」
 「そう難しいものでもないだろう。誠心誠意頼み込めば、手伝ってやらんでも
ないぞ?」
 弥子の手をトロイから外し、再び床に逆戻りさせると、ネウロは爪先で弥子の
頬をつつく。
 「誰が頼むかぁー!!」
 靴を払いのけて立ち上がると、弥子はまたあかねと鶴を折り始めた。ネウロもまた
先程まで読んでいた新聞を手に取る。
 ほどなくして鶴は折り終わった。弥子は折鶴を全てカバンにしまって、宿題を
取り出した。苦手科目のオンパレードにため息をつきはしても、こればかりは自分で
なんとかするしかない。



 帰宅後。机の上に折鶴が並ぶ。
 その中から、弥子は紺色の鶴を持ち上げた。ネウロの折った鶴。それを机に戻して、
カバンから帰宅途中に買った折り紙を取り出す。鶴を折ったものと同じ大きさの
それの中から、紺色を取り出した。
 なるべく丁寧に、鶴を折っていく。
 紺色の折鶴。二羽あるうち、第三者が見ても確実に見分けられるであろう自分のものを、
あかねと一緒に折った中に混ぜ、またカバンにしまう。
 そして、ネウロの折った鶴の翼を広げた。
 掌の上に乗せてみる。
 ひとしきり眺めた後、部屋を見回してシリーズものの文庫本の上を置き場所に決めた。
 子供じみているような気もしたが、この鶴を手元に置いておきたかった。大きな手が
小さな折り紙を折っている様子が、どことなく微笑ましく思い出される。
 もう一羽折って隣に並べてみようか……。
 脳裏をよぎった思考に、弥子はぶんぶんと頭を横に振った。それはいくらなんでも
どうかと思う。が。
 幸いなことに材料はある。いや、でも。
 宿題の時とは比較にならないため息が、弥子の口から吐き出される。答えの見えない
問題は、しばらく弥子を悩ませそうだった。




            end


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